【前編】今、私はアルバイトをするべきではない

「今、私はアルバイトをするべきではない」

これは、私が1カ月前に夫に言った言葉です。ちょうどこの記事を書いた頃ですね。この頃、私はまだ「過去の自分」から抜け切れておらず、様々な葛藤を抱えていました。その後、ブレインダンプをしてマインド面を整理。今は非常にすっきりしています。

そして、冒頭の言葉に反し、3週間前からアルバイトを始めました。講座を始めているのにも関わらず、です。

その間に何があったのでしょう。

これは、元総合職のプライドがたか~い一人の女性が、 仕事を退職して数年経った後に、「自分の腐ったプライド」に締め付けられ苦しむお話です。

過去のプライドが自分を苦しめてしまう。こんな経験、誰でも一度はあると思います。心の奥底に同じような葛藤を少しでも感じられたことがある方に、ここにもこんな人間がいると安心していただければ、批判覚悟でこの記事を書いた意味があります。

【前編】無職の罪悪感と我が家の事情

働かないのではない、働けないのだ:その1

夫の転勤に伴い中国に移住すると同時に退職したのはちょうど3年前。2015年秋のことです。私は専業主婦になりました。そこから中国で2年半を過ごしました。

その間、私は仕事をしていません。帯同家族はビザの関係で就業が認められていないので、仕事をしていないということに罪悪感を感じつつも、「働けないのだから」と自分に言い聞かせて、そのエネルギーを全て中国語学習に注ぎ込みました。社会人を一度経験すると、やりたい勉強に時間を思う存分割けるありがたみが身に染みてよくわかりますよね。

働かないのではない、働けないのだ:その2

帰国後、引っ越しが落ち着いてすぐに実施したのは『雇用保険受給』の手続きでした。いわゆる失業保険ですね。失業保険は退職後すぐに受給を開始するものですが、特定の理由がある場合は最長3年間受給延長することができます。家族の帯同で国外に居住する場合も、この「理由」に該当します。(もちろん事前に手続きが必要です)

日本を離れる期間が3年以上になると延長期間を消化してしまい、その後も帰国予定がなければ受給資格は消滅してしまいますが、私は想定よりも一年ほど早く帰国したため(2018年4月帰国)、全額受給できる日数が残っていたことはある意味ラッキーでした。

自分が描きたい人生+家庭の事情もあり、帰国後は会社に勤めずフリーランスで稼いでいくと決めていました。計算すると受給期間終了手続きが9月中旬だったので、それまでの約半年間を準備期間としました。

雇用されている状態(=どこかで仕事をしている状態)で失業保険を受給すると、不正受給になります。要は、この期間も私は「働いてはだめという立場」でした。

中国在住期間、失業保険受給期間ともに列記とした『大義名分』が立っていたのです。

無職だということに大きなコンプレックスを抱いていましたが、この『大義名分』があったおかげで、そのもやもやをなんとかかき消すことができていたのです。

現実を知る

帰国後、半年間は中国語特許翻訳者になるための準備にあて、10月に個人事業主の開業届を出し、スタートを切りました。しかし、世の中そんなに甘くはない。自分の実力不足を突き付けられた私は、順番を元に戻し、ゼロから基礎の勉強をすることにしました。これが講座受講に至った経緯です。(もう少し詳しく知りたい方はこちら

初期投資と講座費用

PC・Trados・ソフト・書籍・サーバ……そして講座。自分の貯金を切り崩しても最後は足らず、夫婦会議を開き、結果として家計からもお金を出してもらいました。夫は講座受講の主旨を理解してくれ、「高額だけれど、本当に必要ならすぐに始めるべきだ。正しい選択だと思う」と背中を押してくれました。夫には本当に感謝しています。

同時に夫から出た言葉。

「でもね、お金、正直厳しいよね。(失業保険も終わったし)もうアルバイトできるよね?」

就職すればお金はすぐに入ってくる

子どもはいませんし、どこかに就職すればすぐにお金は入ってきますよね。中国語を使って仕事がしたいのであれば、そういう会社を選んで就職すればいいと思いませんか?それでも私は就職活動をしませんでした。

少し長くなりますが、帰国後に「フリーランス」という形を選んだ理由についてお話させてください。

理由は2つあります。

1つは夫が転勤族であること。3~5年に一度転勤がある予定です。再就職できたとしても、転勤の度に急な退職・転職活動をしていては、キャリア面・収入面でもかなり不利になることが見えていたからです。

もう1つは不妊治療です。なかなか子どもに恵まれず、中国にいる間から少しずつ始めていました。日本に帰国後は本格的に治療を進めていくことを、帰国前から夫婦で決めていました。

不妊治療は月に4~6回(月によってはそれ以上)通院が必要です。一番ネックなのは受診日が定まらないこと。状況を見ながら「次は3日後に来て」「明日もう一度来て」と流動的に決まっていき、多いときには週に3日以上連続で通院することもあります。逆に期間があくときは一週間以上あきます。予約制ですが、かなりの待ち時間が発生します。そして、すぐに授かるものではありません。私たちも長期戦を覚悟しています。「不妊治療があるからできないもの」を考えるのではなく、「しっかりと両立できるもの」を考え、フリーランスという形を選びました。

既に子育てをされている方にとっても、在宅でできる仕事はメリットが大きいのが伝わってきます。時間の調整がききますよね。私はまず「子どもを授かるため」に時間の調整が必要でした。

しっかりと治療を受けられる体制を整える、これが帰国前に夫婦で話し合った末に出た「家族にとって」一番の優先事項でした。

お金が必要な理由

話を戻します。

夫が言った「でもね、お金、正直厳しいよね」というこの言葉。これは、「貯金が底をつきそう」という意味ではなく、「毎月の家計」という意味です。

不妊治療を進める上で、今私が新たに会社勤めを始めることは現実的ではないということを、夫婦ともに理解しています。失業保険を受給しているうちは、自分に関わるものはそこから出して、なるべく迷惑をかけないようにしてきましたが、その期間はもう終わり。しかも追加で講座費用も出ていきました。

今は経済面を夫が全て背負ってくれています。本当にありがたいことに、何不自由なく生活できています。しかし、毎月の流れを見ると、少しカバーが必要な状況です。贅沢はしていなくても、細々した通院費がじわりじわりとひびいてきます。フルタイムでなくても、病院の時間帯と重ならず、講座の勉強がしっかりできる範囲で、アルバイトが必要。実はわかっていました。当然のことです 。

身体はいたって健康だし、中国や失業保険のときと違って「働ける」のだし、毎月の「足りない分」を私が埋めるぐらいはできます。というか、それはやらないといけないことです。特許翻訳者になるための学習を進める上で、欲しい書籍も今後さらに増えていくでしょう。この部分には迷わず投資をしたいという気持ちもあります。これ以上、家計に甘えるわけにはいきません。

夫も同じ意見でした。「病院を優先すると働き方がかなり限定されるのはわかっている。勉強に注力したいのも知ってる。少しの部分だけでいいから、そこは協力してほしい」

「うん。わかってる。アルバイトする……」このとき私はこう返答しました。

その3日後、私は夫にこう言いました。

「今、私はアルバイトをするべきではない」

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【前編】はここまでです。【後編】では、なぜ私はそう言ったのか、そこにはどのような考えがあったのかをお話します。きっと、読んでいてあまり気持ちの良いお話ではないですが、自分の思いを正直に書こうと思います。