駐在妻が帰国後の仕事に困らないためにすべき15の行動【筆者について】私が退職を決意した理由

私について

みなさん、こんにちは。

このブログを運営しているkaoと申します。

「駐在妻が帰国後の仕事に困らないための15の行動」

各項目に入っていく前に……

「ブログを書いている人はどんな人?」

これはセカンドキャリアを構築するためのヒントを見つけるためのブログです。筆者がどういう考えを持つ人間なのかって、私だったら気になるところです。

ということで、本日は自己紹介をさせてください。

ただ、「趣味は〇〇で~」と書き綴るつもりはありません。

私がなぜ駐在妻という選択肢を取ったのか、どういう理由があって退職という決断をしたのか。そしてそれは正解だったのか。この部分にスポットを当てて書いていきたいと思います。

現在、私は36歳です。(この記事を書いた2019年6月時点)

略歴はこちら:

名前:kao
出身:大阪府
2005年:大学卒業(文系)
2005年~2015年:食品メーカーの営業部に所属
(東京→大阪→名古屋→東京と転勤 ※退職時は東京)
2015年秋:結婚と同時に中国上海に移住
2018年春:日本に帰国(関東在住)
2018年秋:フリーランス中国語翻訳者として活動
     今に至る

大学を卒業して、食品メーカーに就職しました。営業として走り続けてきましたが、夫の中国転勤が決まり(正式には、中国転勤を機に当時付き合っていた彼と結婚)、上海に移住すると同時に退職。退職したのは社歴11年目の秋、当時33歳でした。

上海では中国語学習に打ち込みました。これについてはまた別途記事にする予定です。

私が退職を決意した理由

仕事を辞めることは人生のプランになかった

「駐妻になるから仕事辞めるなんていいじゃーん!」と何人かに言われたことがあります。私はその度に違和感を感じていました。どう答えたらいいかわからず、「そう思う?」ただこう返すだけでした。

なぜなら、私は自分がやってきた仕事が好きでしたし、仕事を辞める自分を想像したことがなかったからです。

食品メーカーの営業はそれなりに大変な仕事です。会社の携帯を常に持ち歩き、緊急であれば休みでも夜でも対応します。もちろん、売り上げと利益達成は至上命題。常に数字が付きまとい、その責任は社歴ごとに倍々ゲームで大きくなっていきます。

プレッシャーとはお友達。得意先に怒鳴られることなんて1年目の途中で慣れます。

と、こんなことを書くと嫌な仕事に見えるかもしれませんが、私にとっては天職でした。

もともと「食べること」が好きで、食に関わる仕事がしたいという思いで入った食品メーカー。丸10年、大変なことはたくさんありましたが、「飽きた」と思ったことは一度もありませんでした。なぜなら、好きなことだったから。好きな「食」に囲まれているのが幸せだったから。

半年に一度発売する数々の新商品。どの素材と組み合わせれば売れ行きが伸びるか、仮説を立てて数字をいじくるのが難しくもあり楽しかったです。そして、スーパーやコンビニに行って自分が関わった商品を手にしたときの、何とも言えない愛おしい気持ち。

日中の仕事(=業務)が大変でも、「日々触れているもの」が好きなものであれば、毎日が充実しますよね。ワクワクが途切れないというか。

そして、もうひとつ。素晴らしい人に囲まれて仕事ができていたこと。「人」には本当に恵まれていました。上司、後輩、そして切磋琢磨した同期のみんな。たくさんの人に支えられた会社員生活でした。これは本当に有難かった……。ついでに書くと、会社もホワイト企業。年収も同世代より高かったと思います。

5年先は見えるけど、10年先は全く見えない

ここまで「仕事愛」を書いて、なぜ退職したのか?

それは、働き方について「5年先は見えても10年先は全く見えない」いう思いがあったからです。

なぜ10年先が見えないのか?

具体的な原因は、「働く時間」「転勤」です。

まず「働く時間」について。

会社は間違いなくホワイト企業です。福利厚生などの制度はバッチリ。しかし、労務状況に関しては、部署によって差が激しかった。。。

仕事は充実していましたが、私はどちらかというと激務の部署に配属されることが多かったです。繁忙期になると気が付けば23時、24時ということもしばしば(しかも残っているのは私一人ではない!汗)。終電はまだあるけど、もう駅まで歩けないほどヘトヘトでタクシー帰りの日々。心身ともに疲弊した日々が続きます。

私、40歳、50歳になってもこんなことやっているのかな。なんて、絶望的な気持ちになることもありました。

まあ、百歩譲ってこれは耐えられるとして……

問題なのは後者の「転勤」

総合職は転勤ありのため、定期的に引っ越しを伴う異動があります。私も10年間で4回引っ越ししました。転勤は新天地で得意先も仕事も新しくなるため、成長につながることは言うまでもなく、とてもいいリフレッシュになります。見知らぬ土地での生活はプライベートの視野も大きく広がります。個人的には、転勤はメリットも多いと思います。会社のお金で全国色々な都市に住むことができて、とてもよい経験をさせてもらいラッキーだったと今でも思っています。

しかし、30歳を過ぎたあたりから、漠然とした思いが芽生えてきました。

「これがずっと続くとして、私結婚したりできるのかな。子ども育てたりできるのかな」

「その仕事が好きかどうか」と「それがずっと続けられる仕事かどうか」が別問題ということに、気が付き始めたのです。そして、その疑問は年齢を重ねるごとに大きくなっていきました。これが「5年先は見えるけれども、10年先は全く見えない(どこに住んでいるかすらわからない)」と感じた理由です。

そして、これこそが私が退職を決意した理由です。

その問題に対して、当時は答えが出せぬまま働き続けていました。んーまあ、「結婚の予定もないし、今考えても仕方がないや」という感じでした。

心のどこかで、この状況が半永久的に続いていくと思っていたのですね。きっと。何も考えずに。

正直、それでいいと思っていました。もっと本音を言うと、「それしか選択肢がないから」と思っていました。専門職でもないし、外で通用する武器なんてない。だから、この会社に居続ける以外に私ができることはないーー。

変化は突然やってくる

入社して丸10年が過ぎようとしていた頃、とある居酒屋にて。当時付き合っていた彼が「上海に転勤になるかもしれない。他にも候補がいるから俺になるかはわからないけど」と言いました。びっっっくりして、持っているジョッキを落としそうになったことを今でも憶えています。青天の霹靂ってこういうことを言うのだなと思いました(笑)

女の勘というのは案外当たるもので、「これ、当選するな」という予測は見事的中。後に正式な辞令が下ることになります。

結論を言うと、それを機に私たちは夫婦になって上海で結婚生活をスタートさせます。ただ、実は最初、仕事は辞めずに通うつもりでした(恐らく彼も私がそうすると思っていました)。

彼の異動が正式に確定するまでに2カ月ほどの期間があったので、私はその間に色々なことを考えました。

中国の中でも上海は近いので(中国でも東側)、月に数回通おうと思えば通えます。飛行機で片道2時間半。安いLCCも一日に何便も飛んでいて、航空券代も全然出せる金額でした。海外旅行も割と行っている方だったので、上海なんて近いじゃないと思っていました。

それに、お互いの性格からして別居婚でも二人の関係はきっと大丈夫だろうなと思っていましたし、それだけ信頼がおける人でした。

しかし、私の中でずっと引っかかっていたこと。それは、

この上海駐在期間を踏ん張って乗り越えたところで、正直あんまり意味ないよね。

なぜなら彼も転勤族。私も転勤族。

ここを乗り切ったところで、「毎年内示の時期になるたびにビクビクする」そんな人生を今後ずっと送るの?

ここでした。

やり方を変えるという選択

仕事という居場所は私にとってはとても大きなものでした。しかし、この会社でそれを担保できていたのは「自分の要素だけ」で人生をまわすことができる「独身」だったから。

結婚して続けている人も多かったですが、転勤のない職種か、総合職でも「転勤したくない!」とゴネまくって、結局したい仕事もできずに微妙な立ち位置になっていったり……(それでもワガママを聞いてくれるのだから、ある意味優しい会社でした)。本当の意味で「目指すべき姿」っていえる人がいなかったかもしれません。

たとえ結婚したって、母になったって、私だってやりたい仕事をしたい。しっかり稼いで、自立した女性でいたい。これを実現し続けるには、今のやり方を変える必要がある――そう思いました。

仮に、例えば将来どちらかが単身赴任をしたり、一時的に離れることがあったとしても、それが絶対NG!というわけではなく、大きな変化はよしとするも「会社に決められるのではなく、自分たちで決めたい」という思いがありました。

あと、家族は大切にしたい。その思いがありました。その観点で考えると、今の仕事は自分でコントロールできる部分が少ないな、と感じたのは事実です。(日々の仕事は充実していたとしても、長期的な視点で見るとまた変わってきます)

もちろん、仕事はとても尊いものです。働くって、甘いことではありません。色々なものを得ると同時に、多くのものを犠牲にして、必死に走り続けてきました。

独身のときはそれでよかったです。ただ、これからは「私以外の人」が増える。その中で「仕事に付随するしわ寄せ」をどちらかが被るのではなく、その「しわ寄せ」自体を減らすしくみをつくることが今後は重要だと思いました。

もちろん、しっかり稼ぎながら。

そのためにやり方を変えるといっても…… 何をどう変えるのか、具体的にどうするのか、というのは全く見えていませんでした。

しかし、「変えなければ」――これだけははっきり見えていました。そして、それには準備期間がいる。それに上海での時間を充てよう。失ったものがあったとしても、その分新しいものを自分でつくっていけばいい。こんな思いがわきあがってきました。それで、退職する決意を固めました。

もちろん、不安はありました。めちゃくちゃ不安でしたよ。10年以上続けてきたことを止めるわけですから。色々なことを考えました。

自分から仕事をとるとどうなるのだろう

めちゃくちゃ大きなブランクになるのでは

収入がっさりなくなるよね

日本に戻ったときの居場所がない

帰国したとき何歳なんだろう

また就職できるのかな

正直、怖かったです。本当にいいの?本当にそれでいいの?何度も自問自答しました。

それでも、最後は自分で決断しました。何週間もそのことばかりを考えていて、もうこれ以上考えられないレベルまでくると、人間不思議なもので、スッと結論が落ちてくるのです。(過去にも二度ほど経験があります)

ちょうど出張の帰り、名古屋から東京に向かう新幹線の中でふと窓の外を見たとき、夕方なのに太陽の光があまりにも綺麗で、今でも印象に残っています。そのときなぜか、「よし、上海に行こう」と自分の中で声が聞こえた気がしました。

「夫と仕事を天秤にかけて、自分の仕事を捨てたのね」という意見について

結婚と退職を報告したとき、何人かに言われたことがあります。短期的にみればイエス。長期的に見れば、答えはノー。そのときの「仕事場」からは離れました。しかし、もっと長い目で「仕事を持つ」という方法を考えた結果、当時貫いていたスタイルからは一旦離れるという選択をしました。

これは、違った言い方をすると、「天秤にかける」ということをしないですむようにするには、どういうしくみづくりが必要か、ということを考えに考えた結果でした。

結婚のたび、出産のたび、家族が病気のたび…… 自分の何かと天秤にかけないといけないなんて、そもそもそれがおかしい。そう強く感じたのです。

もちろん、大切なものは優先します。人生には優先すべきことがあります。

優先すべきことを取った代償として「捨てた」ものは二度と戻ってこない。二者択一。これ、よくあることですよね。でも……

最初の一回は勉強代。「物理的にどちらかを選ばないといけない」という状況になりました。

でも、これからの人生はそもそも「どちらかを諦める」ということをしなくても、両方を手にすることができる(要は、自分で主導権を握ってバランスを調整する)ような方向に仕向けていくべき。これが私が出した結論です。

ここまで書くと、すごく先を見ていて、めちゃくちゃ仕事が好きなバリキャリウーマンに見えるかもしれませんが……

上海に行く理由、「キャリア」や「自立」だけを見て勇ましく決めたのではないです。私も普通の人間です。この人と一つ屋根の下で同じ時間を過ごしたい、そう素直に思いました。辛いときは支えたいし、一緒に色々な経験をしたい。そして上海であれどこであれ、帰ってくる家というのをつくってあげたいと思ったし、私もそれを望んでいました。

あと、10年以上一人暮らしをしていて、当然のことながら晩ご飯もずっと一人だったので(しかもいつもめちゃ遅)、そろそろ人と一緒に温かいご飯を食べたいなあ……なんてことも思いました(笑)

夫が上海に行く前に入籍を済ませ、同時に当時の上司に上海に行く意思を伝えました。それから5カ月後に退職し、遅れて上海に引っ越しました。抱えていた仕事もありましたし、「結婚するので来月辞めます」なんて去り方は考えていませんでした。色々な思いとともに走り続けてきた10年。最後まで責任を持ってやりきることができました。

世の中の流れる方向と、自分にとってのベストは違う

働き方改革で会社の制度が充実してきたり、転勤自体が減ってきていたり。世の中の動きも変わってきていますよね。

でも、世の中の人の大多数が当てはまる動きでも、自分が思わぬ少数派になってしまったら、それって自分にとっては全く意味のないことなのです。

具体的に言うと、いくら転勤の可能性が減ったといっても、昨日辞令を言い渡された家族にとっては、そんな世の中の動きなんて全く意味をなさないのです。

自身の夫が転勤になってしまった場合は、会社の計らいで日本全国にある事業所に「転勤」させてもらえる。(以前の会社がそうでした)

でも、夫の転勤先が事業所のない海外だったら?

そんな可能性、限りなく0%に近いですよね。全体の割合として限りなく0%でも、当たった人にとっては100%です。

「人手不足」「売り手市場」新聞の見出しで何度見たことか。仮に今ならよい会社に入れるとしましょう。でも、いくら条件がよくても、物理的に続けられない(私のように次いつ引っ越すかわからない)のであれば、それってめちゃくちゃ価値のあることなのでしょうか?

「さっさと子どもつくって、育休活用して上海行けば、辞めずにすむよ!」そう言われたこともありました。この方法で上手に「両立」させている人、実は少なくありません。賢い方法ですし、否定するつもりは全くありません。

しかし、後にこの方法は私には使えなかったことがわかります。子どもができず、現在不妊治療に通っています。不妊治療に通い出したとき、「あのとき舵を切っていて本当によかった」と心の底から思いました。あのまま無理に会社にしがみついていたら、会社以外で通用する武器も持てないまま、治療との両立もできないまま、それこそ「子どもと仕事」を天秤にかけて、悩み、苦しみ、何もないまま泣きながら退職していたと思います。

中国で駐在妻をしている間、色々な準備をしてきました。そして、日本に帰国が決まったときに選んだ道、それがフリーランスというかたちでした。

「私は今後フリーランスでやっていく。いつどこに転勤になっても仕事を続けるしくみをつくりたい」そう夫に伝えました。

もちろん、子育て中となればそう簡単には行かないですよね。親側の事情だけでなく、子どもの気持ち、学校のこと、常に考えていかなければなりません。でも、「突然の大きな変化」というある種のリスクを抱えている人間が2分の1になることで家族の負担をかなり軽減できると思います。

フリーランスの翻訳業に関しては、まだ道半ばです。理想にはまだまだ程遠いです。やらなければいけないこと、山のようにあります。しかし、自分で自分の人生を選んで進めていく、進めていくぞ!という強い気持ちが持てたのも、あのときに自分でしっかり決断したこと、その後中国で一生懸命やってきたことに少なからず自信があったからです。

世の中が向かっている「いい方向」が、必ずしも自分の「ベスト」とは限らないということ。自分の頭で判断して、自分で「ベスト」をつくっていかないといけないこと。この重要性を日々感じています。

仕事って自分にとって何なのか。

自分はどういった人生を描きたいのか。

もし「駐在妻」になっていなければ、これほどまでに自分と向き合い、真剣に考えることはなかったでしょう。

今、私は将来に対して悲観するようなことはありません。逆に、駐在妻という期間を経験して、本当によかったと思っています。この期間は「ブランク」ではなく「新たな人生の武器」を手に入れるきっかけになります。もちろん、思考の面でも。

こう書くと、「強い意志があるからだ」「駐在妻が向いていたんだ」と思われそうですが、ここに来るまでに何度も辛い時期がありました。思い出したくないほど泣いたこともあります。

そんな経験も含めて、皆さんと共有できたらと思っています。

今回の自己紹介、少しでも共感していただける部分があったならば、これから書くブログももしかしたら何かのヒントにしていただけるのかもしれません。

せっかく書くブログ、ここでは綺麗ごとは書かずに全て本音で語っていきたいと思います。質問や取り上げてほしい内容があれば、問い合わせフォームからお気軽にご連絡ください。

本日の内容は以上です。最後までお付き合いいただいて、ありがとうございました。

次回からは「駐在妻が帰国後の仕事に困らないためにすべき15の行動 」に入っていきます。持つべきマインドと、とるべき行動を具体的に解説していきます。

では、また次回お会いしましょう!

<次回>駐在妻が帰国後の仕事に困らないためにすべき15の行動
【1】夫に「海外勤務になる」と言われたらまずやること

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駐在妻が帰国後の仕事に困らないためにすべき15の行動

【プロローグ】駐在妻に立ちはだかる2つの大きな壁
【筆者について】私が退職を決意した理由

<退職前~出国まで>
【1】夫に「海外勤務になる」と言われたらまずやること
【2】退職直後に帯同 失業保険は「捨て」になるの?
【3】退職後に支払う住民税を計算しておく

<帯同開始~本帰国確定まで>
【4】定期的に行く場所を「ひとつ」つくる
【5】同じ感覚を持つ友達は1人だけで十分
【6】できる駐在妻の賢いお付き合い方法
【7】現地での語学学習を本気でお勧めするこれだけの理由
【8】この国でしか味わえない気分転換スポットを見つける
【9】できるだけ「国内旅行」をする理由
【10】自分が進化していることを実感できるようにする

<本帰国後>
Coming Soon…