今思うこと。自分で自分に「大丈夫」というのは本当に難しい

今日のブログは、自分の弱さをもう一度客観的に認識すべきというのと、こういうこともあったなと記録に残したいのと、同じように「突然の不安期」(勝手に名付けた)が訪れた人のヒントになればという目的から書いています。

前回のブログから時間があいてしまいました。

実は意図的にブログから少し距離を置いていました。ここ最近、色々なことが重なり自分で自分のペースを保つことが難しくなっていて(いつもなら数日で戻るのですが)ずるずるいっていました。波があるといか。心理的になかなか落ち着かない状況でした。

冷静な自分が「うーん、今回はだめだな」と判断した日があり、ちょうど仕事もひと段落した時期でもあったので、方法として「ちょっとだけ荷物を下ろす」ことにしました。

少しの間だけですが、休むということです。具体的にいうと、ここ1週間は少しゆっくりめに過ごしていました。

まぁ完全にゼロというわけではなくて、30%ぐらいで低空飛行を続けていたという状況です。積ん読の本を読んだり、明細書を読んだり、少し先のことを考えたり。

あれもやらないと。これもやらないと。こうやってすごさないと。これを成功させないと。結果を出さないと。中国から帰ってきてから4月1日でちょうど2年。ずっとこの気持でやってきました。今もそうです。

特に講座を開始した2018年11月から今までの1年5カ月は、過去にないぐらいのエネルギーを集中させてきました。

「気持ちをパンパンにはりつめた状態」が日々のモチベーションに繋がり、アドレナリンが出てペースを保ち続けられたというのはあります。(最低限の気分転換と体のリフレッシュはしていました)

よい意味の「焦り」や自分に対する「お尻叩き」にしてバリバリやっていくのもある意味では正解です。今までそうしてきました。それでうまく進んできました。

でも、今回は正直に、少し疲れていると感じました(しかもよくない種類の疲れ)。

登山の途中ではありますが、山道を少し外れた斜面に腰を下ろし、お茶とおにぎりを補給することにしました。時間は刻々と進む。後ろからきた参加者が私を横目にどんどん追い抜いてゆく。足を動かさなければ1ミリも頂上には近づかない。

わかっていました。

けれども、今回はおしりをつけて座って少し長めの休憩が必要だと考えました。

せっかく今まで勢いつけてやってきたのに。今までのペースを保ってきたのに。今までそういう方法で積み上げてきたのに。

それでうまくまわっているならOK。でも、それで苦しめられるというときは、思い切って荷物を下ろしてみる、立ち止まって、違う角度から見てみるということも大事。

いつもの道を少し外れることをすぐにサンクコストと結びつけてしまうのはよくない癖。

でも、こういうときって自分で自分に「大丈夫」というのは本当に難しい。

特にメンタルが弱っているときは、思考が埋没していく感覚があるので、不安に飲み込まれてずっと小雨のような感覚になる。特に原因が「コレ!」と自分の中で明確になっていない場合は、「対処」も少し難しい。

頭の中で色々なことがごっちゃごちゃになっているということだけはわかりました。

そういうときにやるべきことととして、私は無理やり「気持ち」に手をかけずに、目につく普段の生活から整えていくことを心がけます

それも、だーれでもできる、いーつでもできる、ほーんとうに簡単なコトをちょっと整えてやっていくこと。

例えば、朝カーテンをあけたとき帯(タッセルというらしいです)を両端ちゃんと留める。脱いでポーイのパジャマをその手でたたむ。部屋を片付ける。洗い物は少量でもその都度洗う。

みなさん当たり前にずっとやっていることだと笑われるかもしれませんが…汗

気持ちが乱れてくると、やはり日常生活の中の小さな小さなスペースが同じように乱れてくると感じています。なので、たまーにある心身ともに疲れたなというときは無理やりに気持ちを整えようと焦らず(焦っていつも失敗するので)、こういった「目に見えるところ」をちょっとだけ丁寧にやることを心がけています。

そして、ご飯をしっかり食べて(特に肉、タンパク質)、睡眠時間を長めに設定して、外に出て体を動かす時間を増やして、お風呂にはしっかりつかる。

めちゃくちゃ素人の考えかもしれませんが、精神的な疲れや不調は脳で起こっていることなので、その同じ脳を使って一生懸命考えても、よい考えは浮かんでこないと思っています。特に私の場合はそうです。

なので、脳以外の部分が健全な、質のよい動きをすることに力を注ぎます。そうすると、後から脳がついてくるというか、時間はかかっても、徐々によい状態に戻っていくことが多いです。素人ながらに、体はつながっていると感じる瞬間でもあります(笑)

その後、紙とペンをもってきてとにかく書く。自分の考えを可視化して整理していきます。だいだいいつも、最初は解読不能です。そんなもんです。

なぜそうなったのかを考えます。

すぐに答えは見つからなくても、必ず「ヒント」は見つかります。

この2週間で感じたこと、やったこと、そして考えたこと

今回「一旦腰を下ろして休もう」と思うまで疲れた原因は、主に3つあります。

講座を始めてから今まで、ずっと順調だったわけではありません。問題や悩み、不安の種はいくつも発生しています。1つや2つならいつものペースで処理できていたかもしれません。でも、今回はその3つがすべて重なったこと。これが大きかったです。

色々考えている中で、「私は本当に甘いな」と、心の底から感じたこともありました。

そして、助けられたこともありました。

私は物事がどうしてもうまく進まないとき、できるだけ「自分で未来を変えることができること」と「そうでないこと」に分けて考えるようにしているのですが、

前者に関する不安は結局のところ、自分の動きが足りていなかったのだと痛感しました。自分の動きとは、「積極的に情報を取りに行くという行動」+「自分はなぜこうするのか」と自分の頭で考えて答えを導き出す(判断する)ということです。

今、ここができていないという課題が、今回よく見えました。

後者、つまり自分で未来を変えることができないことについては、もうその言葉通りで、「自分の未来を変えられる方にエネルギーを注ぐ」しかできることはないのですが、

今回はそこに関する不安と心配が一気に押し寄せてきてしまい、それに引っ張られたというのが正直なところです。情けないですが。

今回、頭がごっちゃごちゃになってしまった要素は3つありました。まずは不妊治療に関すること。そして実家に関すること。最後に私の現状(翻訳)に関することです。

不安に引っ張られた原因1:家庭のこと

ブログには何度か書いていますが、現在不妊治療をしています。中国から帰ってすぐに本格的な治療を始めました。「4月1日でちょうど丸2年経ったのか……」とカレンダーを見てふと思ったのですが、直近で実施したことも×の結果が出たばかりということもあり、なんだかどっと疲れが出てしまったというか、一気に重たく感じたのがわかりました。

夫婦で話し合う日も増えていますが、いつも同じ温度で話ができていますし「一人で抱えてストレスだ!」とは全く思っていません。ありがたいことですよね。

でも、ちょっと私自身のキャパぎりぎりのところまできているのかな?自分で思っているよりもけっこう疲れているのかな?と今回思いました。

しかしながらこれは自分の努力ではどうにもならないこと。どちらかが精神崩壊したりケンカばかりになったり、「今ある生活」が崩れるのならスパッと止めようとは昔から言っていますが、そういう状態でもないですし、うーん、単純に「どっと疲れがきた」という言葉が一番しっくりくるかもしれません。

私の中で「気がつけば2年もやっているのか…」ということを改めて認識してしまったことが大きかったのかもしれません。そして「2年やってもゼロか……」という事実を真正面からとらえてしまったというのもあります。

あまり考えずに、そこはよい意味で数字を気にせずにやっていくべきだなと感じました。実際、何かが急激に変わるわけではないですので。冷静に考えたら「自分の中だけの問題」ですから。

不安に引っ張られた原因2:実家のこと

これは今まで味わったことのない不安でした。不安というか、恐怖と、心配と、その思いが極限まで一気に加速して苦しいという状況です。ここに関しては状況は今日も変わっていないのですが、できることはあまり考えないようにすることしか今は思いつきません。

コロナウイルスで最も影響を受けているのは飲食業や観光業。中小企業や個人店は廃業が相次ぎ、今までやってきたことが一気にゼロになってしまいます。

と、たった2行で書けるようなことが、現実的に身近で起こるとなると、本当に厳しいです。

私の実家は自営業なので、今、本当に苦しい状況です。どこのお店もそうだと思いますが、もう、電話で話を聞くと涙が出てきて、電話中は泣かないですが(親も明るくふるまうので)切ったとたんに心臓と胃がものすごく、ものすごく痛くなるのがわかります。

そして、お店は私も学生の頃からちょくちょく顔を出していたので「第二の家」です。それがなくなるかもしれない虚しさ、親の気持ち、でも自分は何もできない苦しさ、辛さ、全てが苦しいです。

そしてもうひとつ。

兄がコロナウイルスの影響が広がると最前線に立って患者と接触する職種です。はっきりいって、命の方の心配です。兄妹で命の心配をするなんて、あと40年ぐらい先かと思っていましたが……。

こちらは不安というよりも心配と恐怖です。

コロナウイルスで経済的影響をもろに受けて苦しむ立場、コロナウイルスで命の危険にもろにさらされる立場、両極端の不安に挟まれ……。

「あんたが心配しても意味ないじゃない!」と言われるのはわかっているのですが、それが起こっているのが「ニュースでよく見る」レベルでもなく 「遠い親戚」 レベルでもなく、「もろ家族」の場合、やっぱりちょっと頭がおかしくなりそうです。

家族のことでこんなに頭がおかしくなるぐらいに不安になったりしたことは過去にはありませんでしたし、命の心配をしたりするのがここまで苦しいとは思いませんでした。

もう、このことを考えると本当に苦しいので、「ちょっとリフレッシュ!気分転換も必要だよねー」といってカフェで長々とおしゃべりしている方たち、本当に家にいてほしい。コロナを早く終わらせることに協力してほしい……。

上にも書いたように、ここに関してはあまり考えないようにすることしか今は思いつきません。

実家のお店は自粛や休業といった流れになると思いますが、経営のことは一切をまかせていますので、親もプロですし、そこはもうまかせています。ただ、「気持ち」の面を考えると私も苦しいです。

自分の無力さにも落胆しているのかもしれません。数千万円のお金を稼いでいれば手助けもできたのに、そんなに稼げる力もない自分に泣けてきました。

こんなことになるなんて誰も思っていなかったと思いますし、致し方ないですが。でも辛いです。

ここに対する解決方法は、あまり考えずにいること。自分の心身を健康に保って、免疫力を落とさずに、日常でコロナをもらわない・うつさないを徹底すること。これだけです……!

不安に引っ張られた原因3:仕事のこと

上記の2つの「自分で未来を変えられないこと」に対して、この3つ目は「自分で未来を変えられること」です。

なのでここは明らかに「問題」です。自分次第で変えることができる領域なので。

以前のブログにも書きましたが、

仕事がくるまで→「仕事経験できてラッキー」ぐらいの前向きスタンスでやってやると意気込んでいた。

仕事がきた→プロ意識を持って必死に取り組んだ。特許翻訳はやっぱり面白いと思う反面、今までにはなかった課題や難しさも感じた。

仕事が途絶えた→いつも通りに学習に戻ればよいだけなのに、「私何かやらかしたかな」「仕事こない。辛い。不安」という精神状態に。(一度「仕事」というものを経験して「欲」が出たことがわかった)

そして、「私のレベルはやっぱり低い」「やっぱり繁忙期要員」と想像以上に落ち込む自分がいました。情けないですが、精神的にきつかったです。

もちろん案件の復習やもろもろの整理、工程の見直しなどの後処理は早々に行いました。しかし、不安はずっと消えないっまでした。

プロの精神とは程遠い……そう感じました。

自分のレベルや評価については、結局のところ「相手」が判断すること。なので、自分がいくら「できている」といっても相手がそう思わなければ合格ラインには及びません。逆に、自分の中で「できていない」としていても相手が「問題ない」といえば合格ラインになります。だから自分でははっきりとした答えが出ないというもどかしさもあります。

結局できることは「全力でやること」だけ。

とはいえ、「私のレベルは」とどうしても悩んでしまいます。

そこで「何で今回はこんなに悩んでしまうのだろう」と考えたときがありました。

原因のひとつとして、時間的空間があるから。これでした。

やることはたくさんあるけれど、外部的なもの(トライアルや実ジョブ)がないので「よい意味で追われるもの」がない状況でした。そこでふと立ち止まってしまったのです。

昨年の夏頃からトライアルにエントリーし続けたり、合否に一喜一憂したり、面談に行ったり、忙しくも「種をまく」という行動をずっとし続けていました。

今回、実ジョブにしばらく集中していたこともあり、その間はもちろんトライアルに応募することもなく。なので、実ジョブを通した「収穫」は山のようにあるのですが、「新しい種」は全然まかれていない状況でした。

新しい種をまいていないと当然新しい宿題も出にくいわけで、そこで(よくない意味で)ひど段落という空気感になってしまい、時間的空間ができる→不安を感じる時間がある→よけいなことを考えるという悪循環になってしまったというのが正直なところです。

こう書くと自分で苦笑いです……。お恥ずかしいですが、事実です。

4月からはトライアルで攻めないと!と焦っている自分がいたり、でも翻訳会社の状況的にもしかしたら少し様子を見た方がよいのではないかと躊躇している自分がいたり……。

はっきり言って自分の軸がなかったのですね、きっと。不安にものみこまれながら余計に。これが一番の問題でした。そりゃ、方向性が定まらず、ただただ心理的に流されて行動に移せないということになると今そう思います。

このコロナの影響で中国語の案件は減っているという助言をいただいて「そうだよな。今は翻訳会社(とクライアント)の動きを考えてもトライアルで攻める時期ではないよな」と思ったり、

翌日には「人が足りていないようで即課題が送られてきた」という話しを聞いて「私も動かないと!」と焦ったり、

そのときふと、「客観的に状況を分析」して「自分で判断する」が全然できていないと気が付きました。

今の時期にトライアルを攻めるか否か、それが正解か否かということが問題の本質なのではなく、「なぜそうしようと考えたのか」「なぜそう判断したのか」を私の中で組み立てることができていないことが問題なのだと実感しました。

具体的に言うと、

4月からトライアル攻めないと!と思った当初の理由は、

「講座卒業間近だからとにかく結果を出したい」
「GW需要になんとか滑り込みたい」
「少しでも早く安定して不安を払拭したい」

というようなすべて自己都合のもの。こういった理由も「立派な理由」になるかもしれませんが(事実ですし)、けれども、この状況の中、相手の立場に立ったりや実際の状況を鑑みたりする姿勢はゼロ……。これは本当によくないと反省しました。やっぱり相手あっての商売ですので。

その後、少しヒアリングを重ねると「休校対応で稼働時間が減っている翻訳者分をカバーしたいから需要あり」「全く影響を受けずに受注継続している」という話も出てきました。もちろん翻訳分野や翻訳会社(とそこが抱えているクライアント)、言語によって状況はバラバラだと思います。

大事なのは、自分から積極的に情報を取りに行って自分で判断すること。「人がこう言っているから」だけで焦って自分で考えることをせずにいると、正解が見つかりません。今回はここが足りていませんでした。大事なのは、自分で自分の正解をみつけにいくこと。みつけにいこうとすること。

考えた結果、トライアルは件数をしぼって再開することにしました。分野的に仕事もしばらくは間があくかな?と感じていますし、疲れたので少しの休みが必要だったとはいえ、ちょっとしばらくゆっくりしすぎたのでシャッキッとしないとというのもあります。

また、仕事が「ゼロ」である立場です。むやみに焦る気持ちとは別軸で、やっぱりできることを少しずつでも進めていきたいしそうすべきだという思いもあります。

ただ、応募分野は考えて進めることにしました。あとはエントリー後、自動的に課題リンクが送られてくる翻訳会社など少しでも相手に負担がかからないようなところから応募していこうとも思っています。

また、お仕事をいただいていた翻訳会社に「ひと通り翻訳受けましたが何かやりにくいところ、気になっているところはありますか」とヒアリングを入れました。フローの中で私が感じていた小さな疑問も質問させていただき、今後またお仕事が再開したときにお互い気持ちよく、よりスムーズに(減らせる工数はお互い減らしながら)やっていける関係づくりが必要だと思いました。

コロナでお忙しいと思うので「返信はいつでも大丈夫です」とメールしましたが、すぐに返信をくださり、質問にも丁寧に答えてくださってとてもありがたかったです。

ここ2週間、道を進むスピードは亀以下になってしまいましたが、一旦立ち止まって、冷静になって「なぜそうするのか」「なぜそうすべきではないのか」を自分で考えるということを思い出すことができました。

まずは仕事で経験した課題をふまえて学習フェーズの自分にしっかり戻すこと。そして状況にあったトライアルの応募先を決めていくこと。

不安なときほど自分から外を向くことの大切さ

少し前ですが、ある翻訳者さんからアドバイスをいただきました。すごく参考になった反面、「私は客観的な視点が抜け落ちていたな」「まだまだ甘いな」ということを自分自身感じました。

その中で「不安は抱え込まず、色々な人に相談するといい」という助言をいただきました。一人で悩んで考えて閉じこもって、一人でどんどん不安になって。自分から外を向くということが、そういえば全然できていなかったとハッとしました……。

その後、Skypeを使って複数の受講生(卒業生)とお話しする機会があり、自分の不安や疑問をお話しさせていただきました。みなさんのアドバイスをお聞きして、スッと気持ちが落ち着いていくのがわかりました。

先を走る先輩受講生、卒業生。私のフェーズの悩みなんてとうの昔に感じたもう過去のことなのに、丁寧に答えてくださり感謝しています。(実際にお会いした方ばかりなので話しやすいのもありますし、久しぶりにお互い顔が見られて単純に嬉しかったのもあります)

メールをくださった翻訳者さん、Skypeを通じてお話した受講生、今回は本当に助けられました。ありがたいなと心から実感しました。私も誰かに何か小さなことでもできるようにならないと。頑張ろう。

一方で「ブログ」をやっていなかったら今回のことはなかったと思っています。ブログをやっていてよかったなと、改めて感じました。みなさんにお役立ちできる記事とは程遠い内容も多く、ときどき変な内容もありますが、いつも私のブログお付き合いいただき、読んでいただいている方に感謝です。

あとは、もっと自分で積極的に情報を取りにいかないといけないということも大いに反省しましたね……。

自分から常々「発信」はしなくてもよいけれど、情報が入ってくる「窓」は常にあけておくことはできますよね。

そういった意味ではTwitterはやっぱり必須かなと、そこは逃げていてはだめだなと実感しました。

~SNSの活用は?単価の決め方は?~ 元翻訳コーディネータ対談(第4回)を視聴したというのもあります。

今までTwitterは意図的に手を出しませんでした。なぜなら性格的に「気になってしまう」のがわかっていたので、そこに時間を割いてしまい(色々見ていまい)時間を垂れ流しにしてしまいそうだという懸念からです。

まずは、「他のツイートには反応しなくてもよい」というルールを設けて、ブログ記事更新の告知や情報収集の目的に限定してゆるくはじめてみようと思います。

Twitterを活用したSNS戦略などいろいろな活用方法があると思いますが、しばらくはそこを(よい意味で)一切気にせず、要は「こうあるべき」を無理につくらず、しばられず、やってみようと思います。

まずは足元の目標をしっかりと!ですから。

長くなりましたが、少し気持ちを整理して書いてみました。

よし。いい加減そろそろ進めないと。